進行流産と失神
8wで第2子稽留流産と診断されてから、4日後、自然排出のあった日のことを記します。生々しく読まれづらい話かなと思いますが、自分としては衝撃的な日でした。今は元気に生きています。
9時間の大出血
診断日からしばらく、少量の出血が続いていました。その日は自宅で仕事をしていて、お昼は近所のコンビニに買いに行き、体調も普通で過ごしていました。
14時過ぎ、突然出血が増えてきました。シャーっというような血や、指くらいの塊。排出ドバッの波が10分置きくらいにやってきて、そのたびにトイレに駆け込みました。全く仕事にならなかったですが、スマホをトイレに持ち込んでテキスト連絡をとりながらなんとなくやっていました。もうトイレにずっといた方がよい気もしましたが、トイレは北側で寒く、気も滅入るので、明るいリビングと行ったり来たりしていました。
私は数年前にも流産経験があります。その時は大量出血は2時間くらいで終わっていた気がします。しかし今回は9時間!ずっと10分置きドバッが続いていました。単純に、立って座って歩いてで疲弊しました。腹痛は全くありませんでした。ただ血を出し続けるロボットとなりました。
目に見えた消耗
- トイレの回数 50-60回
- トイレットペーパー 9ロール相当
- トイレの上の洗浄剤 色がなくなる
- 体重翌日 1kg減
- 翌日太ももの前側パンパン(立ち座り繰り返しによる)
- 貧血
保育園のお迎えどうしよう
子の保育園お迎えの時間になっても出血はひどくなるばかり。夫は仕事を抜けられない。車1時間ほどの両親は電話つながらない。私はとにかく血は出ているが、元気ではある。・・・結局、延長保育をギリギリできるところまでお願いして、夜用ナプキンをつけてぱぱぱっと迎えに行って帰って、トイレに駆け込み間に合いました。保育園は家から近く、理由を問われることもなく、長話もなく、助かりました。
排出と失神
20時前に夫帰宅、子のことを全部任せました。23時頃、少しおさまってきた感じがして、シャワーを浴びました。そこで胎嚢らしきものを発見しました。風呂場を出た後、目の前が暗くなり、立っていられなくなりました。その後廊下で倒れ、リビングのテーブルの下で倒れ、寝ている夫のところへ報告へ行って床に転がりました。本当はその後そばにいてほしかったのだけど、子が起きてしまい夫は子と一緒に。
トイレに行きたくなりました。でもこういう時にトイレに行くと、血圧下がってよくない。わかっているのに行ってしまい、またそこで意識を失い、走馬灯のように断片的な夢をばばばっとみて、気づいたらトイレの天井を見ていました。また自力でリビングに戻って、夫を起こしました。私の顔面は真っ白だったそうです。1時間くらい横になっていたらようやく動けるようになり、トイレに行き眠れるような装備をし、歯を軽く磨いて、寝ました。
貧血→立っていられない→失神の流れは心身共につらく、恐怖感があります。同じ家にいても深夜だと気づかれないため、何事も最後は1人でなんとかしないといけないのだなという気持ちになりました。
通院
胎嚢が出てきたらなるべくすぐ来てということだったので、翌日病院へ向かいました。貧血ふらふら症状が出ていたので、申し訳なくもマタニティマークをつけて可能な際は座らせてもらいました。もうマタニティじゃないのに・・。
私が持参したものは胎嚢全体ではなかったらしく、内診ではさまっていた胎嚢をとってもらいました。後で、水の入った容器に浮かぶ胎嚢を見ました。白くてふわふわと毛が生えているようで綺麗でした。以前の流産の際は自宅で胎嚢を排出したのですが、その際は周りに血がついていてグロテスクだったので、このような美しい姿を見せてもらえるなんてと、悲しくも嬉しかったです。
先生に失神を報告したら、びっくりされました。あまりないことのようでした。
その後
生理くらいの出血が続いていて、流出した日にはなかった腹痛、腰痛、おなかのはりがたまにやってきています。今回は流産が決定した精神的な悲しみもそこそこに、1人で小さな出産をしないといけない流産の容赦なさを体感しました。しかし後は回復をしていくのみ。子宮の戻りが確認できたら、非妊娠の体とまた生きていきたいと思います。
第2子妊娠と流産
先日育休後の仕事を再開し、それと前後して第2子妊娠と流産をしました。
背景
第1子を顕微授精で妊娠出産しているのですが、その際に残った受精卵を凍結していました。最後の一つの初期胚受精卵で妊娠しました。初期胚は胚盤胞よりも確率が低いため、とても嬉しかったです。
ホルモン補充周期で、エストラーナテープ、ルテウム膣剤、プレマリン錠剤を飲んでいました。子がいながら1日2回膣剤と安静は少し大変でしたが、寝転びながら足で遊んでいました。
経過
3w6d: hcg160 陽性 つわりが全然ないけど数値はいい感じだし、最高に幸せでした。
5w3d: 胎嚢8mm この時期にしては胎嚢が小さめで少し不安。
5w6d: 生理2日目以上の出血が半日続く。
6w2d: 心拍確認 胎芽3.4mm、胎嚢9.3mm やはり胎嚢が小さい。でも心拍確認できたから大丈夫ではとけっこう前向きに過ごしていました。
7w3d: 心拍が微か 胎芽3.9mm 胎嚢22mm ここで絶望の淵に突き落とされました。すごく丁寧に診ていただきようやく確認できる心拍、全然成長していない。それでも心拍が確認できるから次回まで様子見で薬を続けました。
8w2d: 胎芽4.1mm 胎嚢18.5mm 稽留流産の確定。ホルモン薬をやめる。
その4日後に大出血で胎嚢が出てきて、今は子宮の戻りの確認待ち期間となります。
第1子の時も、6w頃に生理2日目以上の出血をしていました。でも胎嚢などの成長はずっと順調で、何も指摘されることがありませんでした。成長が小さめといわれたまま、一瞬心拍確認できるもそのまま今回の妊娠は終わってしまいました。
体調と心境
つわりは、日中眠い、あっさりフルーティーなものが食べたい、夜気持ち悪い等がありました。ただ第1子の時よりは軽く、成長が止まってきたタイミングで少しずつ楽になっていました。また、0歳の我が子のよだれなどのにおいが不快になってしまい、「かわいい」という気持ちも薄れてしまっていました。それが一番つらかったです。
流産がわかってからは、悲しみと同時に、0歳育児・仕事再開・妊娠の重圧から解放された面もありました。進行流産中でも子を保育園にお迎えに行かなければならなかったり、目の前のことで忙しいと悲しむ余裕がないのかもしれません。本当に少しの間だったけれど、おなかに宿ってくれたことは幸せなことでした。
今後
元々私はAMHが0.4以下、50代相当くらいと言われながら幸いにも第1子を妊娠出産しました。現時点で再度計ったところ、AMHは0.1以下で、もう残り時間が僅かなのだと思います。2年前でも終盤全く受精卵が獲得できていなかったため、これからまた多くの時間をかけて、日常にも影響を与えながら妊活をするかどうか。少し考えたいと思います。
流産経過がすさまじかったので、それも別途書き記しておきたいです。
第2子妊活
第2子妊活を始めている。移植周期から再開している形。
背景
第1子のときに体外受精をしており、凍結胚が2つ残っている。
そのうちの1つが保存更新期限を迎え、治療に入っていれば保険費用で保存更新ができるというのもきっかけ。
年齢のこと、夫婦で協力して家事育児できそうなこと、第1子で難儀したため治療を継続するならば早く進めた方がよいことから、治療可能なほぼ最短で始めた。
凍結胚はいずれも初期胚、質はグレード1とグレード2で悪くはない。でも初期胚。
1回目
残念ながら、hcg検出されず、授からなかった。
第1子の時よりもよくも悪くもあまり気にせずに結果を待つことができた。
体調は、ちょうど子から風邪が移り、鼻水痰が止まらないのでもうわけがわからなかった。これが妊娠反応だったら・・と淡い思いがなくはなかったけど、風邪だった。
移植までの日々は薬でコントロールするホルモン周期だったので、薬漬け。1日2回ルテウム膣剤を入れるのが、子がいると大変だった。時間は1,2時間ずれてしまうことも。朝は子の前で入れて、安静にできずにすぐに動き回っていた。
先生には、確率が胚盤胞より低いから2個一緒に戻しませんかと提案されていた。
今となってはそうすればよかったとも思うけど、万が一でも双子の可能性は出てくるし、無事妊娠できたときにどちらの卵ちゃんかわからなくなってしまうのを避けたかった。
2回目
これからまた挑戦します。1回目はまだあると思えたけど、背水の陣は緊張。だめだったらまた治療をするのかなどうしようかな、だめだったらとか考えたらだめだなと、もやもやしている。