妊娠子育て記

アラフォー再婚不妊治療からの育児と日常記録

ついに来た突発性発疹と不機嫌

本ブログは病気の記録みたいになっていますが、子が突発性発疹になりました、たぶん。

年末から3週連続発熱しています。なぜか年末年始休暇は元気に過ごしてくれて助かりましたが、病児保育にお世話になりっぱなしです。1日2000円飛んでいきます。。

熱が出るたびにお医者さんに「突発かなあ」と言われ続けていましたが、3週目の発熱でついに、解熱後の身体に発疹を発見。しかし発見したのが土曜の午後で、確定診断されたわけではありません。我が保育園は病気の度に登園許可証をもらわないといけなくて、連休明けに病院行かなくてはと今から仕事調整が憂鬱です。

 

今回の発熱は38-39度くらいが3日間、熱の下がった翌日に発疹を発見しました。そして、不機嫌。別名、不機嫌病と話しには聞いていましたが、実感しました。

普段なんでもパクパク食べるのに、40度発熱でも食べてたのに、今回は食べぐずる。残す。ストロー飲みをし始めていたのに(遅ればせながら)、飲まないから哺乳瓶に戻す。寝たと思ったらすぐに起きてぐずるの繰り返し。動くと比較的機嫌がよいのですが、部屋のあちこち行ってほしくないところに行っては、引き戻しぎゃん泣きをされていました。この土日は発疹と不機嫌の2日間でした。明日は夫が仕事で、子と2人。子もつらいだろうし、早く機嫌良くなるといいなあ。

 

大人の手足口病その後

29日お昼まで働いて、年末年始休暇に入りました~。嬉しい。

9月に子から手足口病が移って苦しんでいたのですが、今も余波が続いています。手の爪が、割れます。

手の指5本、爪の中ほどに亀裂が入っています。もしかしたらただ加齢なのかもしれないですが。うち1本は何度もひっかけて、完全にとれました。とれたからといってその下に爪ができているわけでもなく、深爪過ぎる中指になっています。もう1本、右手人差し指がとれそうになっているので、指サックをしたり指先用絆創膏つけたりしています。オムツ替えで引っ掛けるのが大変つらいため、夫がいるときはなるべくお願いしています。早く髪の毛を何も気にせず洗いたい・・!

子の爪は何も起こっていないので、よかったです。

発熱とクリスマス

クリスマスですね。今月は子の誕生日、夫の誕生日、クリスマスとイベントが多く、クリスマスに大きなことはしませんでした。大人のごはんとケーキをクリスマス仕様に取り寄せ、家でゆっくり過ごしました。昨年は新生児でクリスマスどころではなかったので、ゆっくりできるだけでうれしいなとしみじみ。来年は子ももう少し何かわかっていそうだから、プレゼントを準備しようかな。

 

今週火曜~金曜まで子が発熱していて、ようやく下がったところでのクリスマスでもありました。初めての40度台、そして長期間。これまでは熱が出ても翌日には下がっていたので、すごく長く感じました。

幸い3日間病児保育に預けることができ、忙しくなってきた仕事を休まずに済みました。熱でもご機嫌で過ごして食欲もあったようでよかったです。病児保育はお金はかかり、食事持参で面倒、いつもより遠いものの、本当にありがたい。鼻水吸引や保湿もこまめにしてくださるおかげか、いつもより肌つやよく帰宅していました。帰り道もクリスマスで華やかな街中を歩くことができました。

週末は熱が下がったものの普段より機嫌が悪く、すたすた歩けていたのによろけがちになり、まだ本格復帰ではありません。これまでは熱が下がったらすぐに元気になっていたので、不調が長引いて心配になっています。発熱中は咳鼻水もなく寝つきもよく、熱が下がってからの方が不快症状が目にみえてきた感じがします。

コロナもインフルも陰性で原因不明ですが、発熱の3日前に打ったMRワクチン(麻しん風しん混合)かおたふくワクチンの副反応なのではないかなと思っています。副反応だとすると病気自体にかかるよりはよかったのだと思いますが、それでもけっこう大変です。早く元気になりますように。

 

11か月

子は1歳目前の1か月を、気持ちも体もご機嫌で過ごしました。慣らし保育期間は病気に苦しめられましたが、11月はお迎え要請下痢の1回だけ!預ける時間が長くなっても、園が楽しいようでニコニコと過ごしていました。朝晩ぐずる時間ももちろんありますが。

 

初めて園の面談に行きまして、こんなことを言われました。

・食への執着がすごい ・歩くのが大好き ・よく喃語でお喋りしていて伝えたいことがたくさんありそう ・お友達との距離が近すぎる(ひっかいたりが怖い)

お友達との距離は家ではどうしようもないかなと思いますが、よく食べよく動きよく喋り、元気に過ごしているようです。

 

最近は手をぱちぱちするのも好きで、何かするたびにぱちぱちしています。自分で自分のことをほめる自己肯定感高めボーイに見えてかわいいです。

絵本もたまに読むのですが、めくること自体が好きなようで、内容を見て聞いて楽しむ様子はありません。

 

乳児から幼児になるなんて、想像できません。いつまで赤ちゃんって呼んでいいのでしょうか。

 

進行流産と失神

8wで第2子稽留流産と診断されてから、4日後、自然排出のあった日のことを記します。生々しく読まれづらい話かなと思いますが、自分としては衝撃的な日でした。今は元気に生きています。

9時間の大出血

診断日からしばらく、少量の出血が続いていました。その日は自宅で仕事をしていて、お昼は近所のコンビニに買いに行き、体調も普通で過ごしていました。

14時過ぎ、突然出血が増えてきました。シャーっというような血や、指くらいの塊。排出ドバッの波が10分置きくらいにやってきて、そのたびにトイレに駆け込みました。全く仕事にならなかったですが、スマホをトイレに持ち込んでテキスト連絡をとりながらなんとなくやっていました。もうトイレにずっといた方がよい気もしましたが、トイレは北側で寒く、気も滅入るので、明るいリビングと行ったり来たりしていました。

私は数年前にも流産経験があります。その時は大量出血は2時間くらいで終わっていた気がします。しかし今回は9時間!ずっと10分置きドバッが続いていました。単純に、立って座って歩いてで疲弊しました。腹痛は全くありませんでした。ただ血を出し続けるロボットとなりました。

目に見えた消耗
  • トイレの回数 50-60回 
  • トイレットペーパー 9ロール相当
  • トイレの上の洗浄剤 色がなくなる
  • 体重翌日 1kg減
  • 翌日太ももの前側パンパン(立ち座り繰り返しによる)
  • 貧血
保育園のお迎えどうしよう

子の保育園お迎えの時間になっても出血はひどくなるばかり。夫は仕事を抜けられない。車1時間ほどの両親は電話つながらない。私はとにかく血は出ているが、元気ではある。・・・結局、延長保育をギリギリできるところまでお願いして、夜用ナプキンをつけてぱぱぱっと迎えに行って帰って、トイレに駆け込み間に合いました。保育園は家から近く、理由を問われることもなく、長話もなく、助かりました。

排出と失神

20時前に夫帰宅、子のことを全部任せました。23時頃、少しおさまってきた感じがして、シャワーを浴びました。そこで胎嚢らしきものを発見しました。風呂場を出た後、目の前が暗くなり、立っていられなくなりました。その後廊下で倒れ、リビングのテーブルの下で倒れ、寝ている夫のところへ報告へ行って床に転がりました。本当はその後そばにいてほしかったのだけど、子が起きてしまい夫は子と一緒に。

トイレに行きたくなりました。でもこういう時にトイレに行くと、血圧下がってよくない。わかっているのに行ってしまい、またそこで意識を失い、走馬灯のように断片的な夢をばばばっとみて、気づいたらトイレの天井を見ていました。また自力でリビングに戻って、夫を起こしました。私の顔面は真っ白だったそうです。1時間くらい横になっていたらようやく動けるようになり、トイレに行き眠れるような装備をし、歯を軽く磨いて、寝ました。

貧血→立っていられない→失神の流れは心身共につらく、恐怖感があります。同じ家にいても深夜だと気づかれないため、何事も最後は1人でなんとかしないといけないのだなという気持ちになりました。

通院

胎嚢が出てきたらなるべくすぐ来てということだったので、翌日病院へ向かいました。貧血ふらふら症状が出ていたので、申し訳なくもマタニティマークをつけて可能な際は座らせてもらいました。もうマタニティじゃないのに・・。

私が持参したものは胎嚢全体ではなかったらしく、内診ではさまっていた胎嚢をとってもらいました。後で、水の入った容器に浮かぶ胎嚢を見ました。白くてふわふわと毛が生えているようで綺麗でした。以前の流産の際は自宅で胎嚢を排出したのですが、その際は周りに血がついていてグロテスクだったので、このような美しい姿を見せてもらえるなんてと、悲しくも嬉しかったです。

先生に失神を報告したら、びっくりされました。あまりないことのようでした。

その後

生理くらいの出血が続いていて、流出した日にはなかった腹痛、腰痛、おなかのはりがたまにやってきています。今回は流産が決定した精神的な悲しみもそこそこに、1人で小さな出産をしないといけない流産の容赦なさを体感しました。しかし後は回復をしていくのみ。子宮の戻りが確認できたら、非妊娠の体とまた生きていきたいと思います。

第2子妊娠と流産

先日育休後の仕事を再開し、それと前後して第2子妊娠と流産をしました。

 

背景

第1子を顕微授精で妊娠出産しているのですが、その際に残った受精卵を凍結していました。最後の一つの初期胚受精卵で妊娠しました。初期胚は胚盤胞よりも確率が低いため、とても嬉しかったです。

ホルモン補充周期で、エストラーナテープ、ルテウム膣剤、プレマリン錠剤を飲んでいました。子がいながら1日2回膣剤と安静は少し大変でしたが、寝転びながら足で遊んでいました。

経過

3w6d:  hcg160 陽性 つわりが全然ないけど数値はいい感じだし、最高に幸せでした。

5w3d: 胎嚢8mm この時期にしては胎嚢が小さめで少し不安。

5w6d: 生理2日目以上の出血が半日続く。

6w2d: 心拍確認 胎芽3.4mm、胎嚢9.3mm やはり胎嚢が小さい。でも心拍確認できたから大丈夫ではとけっこう前向きに過ごしていました。

7w3d: 心拍が微か 胎芽3.9mm 胎嚢22mm ここで絶望の淵に突き落とされました。すごく丁寧に診ていただきようやく確認できる心拍、全然成長していない。それでも心拍が確認できるから次回まで様子見で薬を続けました。

8w2d: 胎芽4.1mm 胎嚢18.5mm 稽留流産の確定。ホルモン薬をやめる。

その4日後に大出血で胎嚢が出てきて、今は子宮の戻りの確認待ち期間となります。

第1子の時も、6w頃に生理2日目以上の出血をしていました。でも胎嚢などの成長はずっと順調で、何も指摘されることがありませんでした。成長が小さめといわれたまま、一瞬心拍確認できるもそのまま今回の妊娠は終わってしまいました。

体調と心境

つわりは、日中眠い、あっさりフルーティーなものが食べたい、夜気持ち悪い等がありました。ただ第1子の時よりは軽く、成長が止まってきたタイミングで少しずつ楽になっていました。また、0歳の我が子のよだれなどのにおいが不快になってしまい、「かわいい」という気持ちも薄れてしまっていました。それが一番つらかったです。

流産がわかってからは、悲しみと同時に、0歳育児・仕事再開・妊娠の重圧から解放された面もありました。進行流産中でも子を保育園にお迎えに行かなければならなかったり、目の前のことで忙しいと悲しむ余裕がないのかもしれません。本当に少しの間だったけれど、おなかに宿ってくれたことは幸せなことでした。

今後

元々私はAMHが0.4以下、50代相当くらいと言われながら幸いにも第1子を妊娠出産しました。現時点で再度計ったところ、AMHは0.1以下で、もう残り時間が僅かなのだと思います。2年前でも終盤全く受精卵が獲得できていなかったため、これからまた多くの時間をかけて、日常にも影響を与えながら妊活をするかどうか。少し考えたいと思います。

流産経過がすさまじかったので、それも別途書き記しておきたいです。

 

 

 

 

ネントレ本を手放す

産前に友人に勧められて購入した子のジーナ式などのねんねトレーニング本を、そろそろ売ろうかと思います。

産前、赤ちゃんの睡眠関連の悩み実体験と、対策本でよく寝るようになった話を何組かから聞きました。そのため、産む前からその関連の本を読んでいました。(今思えば、産む前に読んでもいまいち実感湧かなかったし、小説を読んでいたらよかったなとも。)

赤ちゃんはねんねトレーニングしないと夜通し寝ないのか。と思ってしまいました。実際はいろんなパターンがあると思います。ネントレしても寝ない子は寝ないし、ネントレせずに寝る子もいる。夫はネントレに懐疑的で、やりたいならやったらいいけど、ネントレにとらわれて苦しくなったり、そのために時間調整したりタスクも増えるから、という感じでした。実際、「やらなきゃ・・でも今日もバタバタして、この本の通りに取り組む余裕ない」と、せねばならない圧迫感の方が強い状況でした。

結果、あんまり本に書いてあることを行わないうちに、我が子はネントレ無しで夜通し寝ました。2か月半ばくらいに初めて夜通し寝てびっくりしました。10か月の今もたまにぐずって起きることはありますが、授乳などはせず軽くあやす程度で眠ります。でももし夜寝るのが苦手な子だったら「私の育て方が‥」と気にしていただろうと想像できます。

育児のhowtoは役に立ちますが、赤ちゃんの性質によってできないことはできないから、できなかったら苦しくなるし、逆に何もせずにうまくいけば必要なかったし、よい距離を保っていたいなと思います。

 

ちなみに産む前に知りたかったなと思うのは、ねんねよりも母乳問題でした。それはまた別途書きたいです。